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新しい人生をスタートした私

国道を走っていると、左手に小さな小さなPCショップが視界に入ってきた。

大人が三人両手を広げただけで、すっぽり納まってしまうほどの小さな店頭。
飾り気の無いガラス戸が、同じ幅のガラス壁に挟まれて、陽光を反射している。
一階と屋根の間に掲げられた大きな看板が、そのちっぽけな店がPC専門店である事を示す唯一の手がかりだ。

国道沿いの店とはいえ、ここは田舎だ。
店の左右も背後も田んぼに囲われ、近くには・・・といっても徒歩で十分ほどの距離になるが・・・・古い民家が一件見受けられるだけだった。
その商店は、周囲の田畑よりもやや高い位置に作られた道路の高さにあわせ、コンクリートの土壌の上に建っている。まるで田畑の海に浮かぶ孤島だ。
敷地は極めて狭く、車が駐車できるようなスペースはない。
路肩も狭く、私は興味を示しても、一度も来店することはかなわなかった。

初めて、その店を見たとき、私は、バカじゃないかと思った。
こんな場所に店を出して、一体、誰が来店してくれるというのか?
精々、国道を走るライダーの内、よほど物好きな人間だけだ。

直ぐに看板を下ろしてしまうだろうと思っていた。
だが、店の看板は、一年を経過しても下ろされることはなかった。
二年目を迎えても、三年目を迎えても、私が国道を走る度に、小さな商店の大きな看板は、私の視界をかすめていった。
なぜ、潰れないのだろうか?
近くに見える古い民家。遠目にも、農業を生業としていることが分かる。
もしかして、この店の店主は、あの民家の主で、農業を本業としているのだろうか?
PC専門店は道楽ついでの副業か?だから、利益が上がらずとも看板を下ろさないのか?

だが、四年目を迎えた時、私は一つの思い違いをしていたことに気付いた。
夕暮れの中、道場帰りに見たその商店は、ネオンの看板を掲げ、何と新装していたのだ。
そして、店先には、数人の客がたむろしていた。ラフな服装からしてライダーではない。
狭い敷地には、数台の自転車が並んでいた。

“そうか・・・・これは、地元住民の為の店なんだ”

そういえば、私の村にある電機屋も、同じような立地条件の場所に建っている。
山道を抜ける狭い県道沿いに店舗を抱えているが、駐車場はなく、わざわざ一元の人間やドライバーが来店することはまずない。
だが、地元の人間を顧客とし、私の子供の頃から潰れることなく営業を続けている。
それと同じなのだろう。

私は、“周囲にほとんど民家がない”“国道沿いに店舗を構えている”という理由で、「顧客=国道を駆け抜けるドライバー」という思い込みをしていた。
だから、誰が駐車場すらない店に訪問するのかと、呆れていた。
しかし、その商店は地元住民相手に利益を上げ、わずか四年で新装まではたしていたのだ。

目先の情報だけでは、内情は分からぬものだ。
そういえば、私がここ二ヶ月間に体験した求人市場にも、同じことがいえた。
派遣を辞め、数年ぶりに足を踏み入れた求人市場は、私が今まで見聞きしてきた情報とかなり異なっていた。悪い意味で。

今回は、求職活動を再開するまでは見えてこなかった、私の予想を越えたハローワークの求人市場の惨状を語ろう。




私は「待遇改善」を信じて、三年以上もの間、某大手企業で昼夜逆転の深夜夜勤勤めを続けた。
だが、ようやく回ってきたチャンスは、金融危機のせいで帳消しとなり、遂には仕事自体失ってしまった。
結局、どんなに努力しても非正社員は使い捨てにされるだけ・・・・事情あって求職活動を長らく停止していた私は、これを契機に、派遣と決別する事にした。
むろん、評価に値する職歴を持たない私は、安定した求人には到底ありつけまい。
だが、派遣よりも雇用状態の酷い所を選べば、何とかなるかも知れない。

契約満了の期日が迫り始めた頃、私は新聞の求人広告から、書類選考がある求人をピックアップした。
まだ雇用期間は残っている。いきなり面接から始める求人に応募した場合、面接の度に仕事を休まねばならず、同僚に迷惑を掛けかねない。
だから、先に書類選考から始める求人に応募することにしたのだ。



■■ 1、職歴の問題 ■■


しかし、応募先に履歴書を送るに当たって、一つ大きな問題があった。
私は非正規の職歴しかない。
ハローワークの職員に相談した所、たとえ非正規でも職歴として書いた方が良いと助言された。今は非正規労働者が多い為、職歴として評価してくれる企業も増えているというのだ。その代わり、経歴詐称になってしまう為、職歴は正確に書かねばならないといわれた。
この正確な職歴を書かねばならないという点が問題だった。
短期・長期で、十社以上の企業に派遣されてきた私は、自身の正確な非正規歴を把握できなくなっていた。
派遣会社に問い合わせても、機材を一新した為、最近のデータしか記録していないという。
これでは履歴書を書くことがなきやしない。この問題をどう片付けるべきか?

私の知人に、幾度も転職を繰り返している男がいた。通常、転職回数の多い職歴はマイナス評価され、再就職は難しくなる。にも関わらず、彼はいつも容易に転職していた。
彼は、どうやって職歴の問題を乗り切っていたのか?
私が相談すると、彼はアッサリといった。

「就職できへんとかいう奴は、職歴をバカ正直に書いとるからやろ」

彼は、一年以内の職歴は正直に書いた方が良いが、それ以前のものは多少“修正”しても、滅多にバレないというのだ。
無職の期間があれば、その期間は家業(自営業)を手伝っていた等と称するも良し、あるいは、前後の職の雇用期間を引き伸ばして埋めるも良し。
転職回数が多ければ、省略し、数を減らせば良し。
彼は、職歴を修正する術を私に説き聞かせた。

自身の非正規歴が分からなくなっている私は、就職の為には、彼の助言を聞き入れるべきだろう。
だが、騙して職を得るという方法は、気が進まなかった。
彼は、「職歴の修正なんて常識だ」といったが、常識の足りていない私には、刑法の柵を乗り越えてまでそんな常識を受け入れる気にはなれなかった。
だが、このままでは進むことはできない。
求人の中には「職歴不問」と銘打っている所も多々ある。だが、これは「職歴を問わずに募集する」という意味に過ぎず、「職歴に不備のある人材を積極的に採用する」という意味ではない。
「職歴不問」といいながら職務経歴書の提出を求める企業も多い。やはり個人の評価には職歴が深く関わってくるのが普通だ。

私は迷いに迷った挙句、少し職歴の書き方を変えることにした。
職歴欄に、派遣先ではなく、派遣会社の名前を書き込んだのだ。
(派遣先に関しては、給料明細と記憶を頼りに、分かる範囲だけ書き添え、後は省略した)
登録派遣(派遣会社に仕事を斡旋してもらう非正社員)ではなく、あたかも特定派遣(派遣会社の正社員)であるかのような書き方をしたのである。
私は無職の期間は一度も無い。十年間、ずっと派遣会社に所属して働き続けてきたことは偽りではない。
とりあえず、この職歴で求職活動に挑み、採用が決まった時に正直に詳細を告白する他あるまい。

かくして、私は何とか職歴欄を埋めると、十社ばかりの企業に応募した。だが、一通たりとも採用通知はえられなかった。
やはり、書き方を工夫した所で、世間は派遣を職歴として評価してくれないらしい。



■■ 2、派遣よりも酷い、ハローワークの求人 ■■


結局、再就職の当てがつかめないまま、私は、契約満了とともに派遣会社と縁を切った。
数年ぶりに求職活動再開である。
目標は、失業保険を受ける前に就職をはたす事。
派遣よりも低賃金の仕事を選べば、何とかなるだろう。
もし、それでもダメなら、不人気職を当たればいい。
酪農、農業、林業、土建、重工業系の工場、ブラックな警備会社。不人気職の求人なら幾らでもあるはずだ。

それが求職活動を始める前の・・・・上辺の情報と十年前の求職経験から得た私の計画だった。
だが、直ぐに、自分の思惑が間違っている事に気付かされた。
派遣よりも低賃金の仕事は直ぐに見付かった。幾つでも。
ハローワークの求人は、六割以上が派遣よりも低賃金だったからだ。

多くが、初任給15万前後。
相応のキャリアがあれば初任給を少し配慮してもらえるが、私のような職歴に問題を抱えている求職者は、そんな配慮など望めやしない。
年間の昇給額も低く、十年勤めても二十万に届かない所も何と多い事だろうか。
実家暮らしで親の脛をかじっている者ならばともかく、自立している者はとてもやって行けまい。扶養家族を抱えている者ならばなおの事だ。
しかも、九割の求人が“運転免許資格”を最低条件にしていた。事務関係の仕事ならば、“PC操作”が最低条件だ。
派遣の同僚の中には、経済的な理由で教習所に通う余裕がない者や維持費の問題から車を手放した者もいる。そして、半数がPCとは無縁の生活を送っている。
私は運転免許もPCスキルもあるが、同じく派遣を辞めた同僚らの何割かは、この最低条件を満たせずに困り果てる事だろう。

派遣よりも増しな求人も四割ほどあったが、ほとんどが“経験者”“資格”の条件付きだ。雇用法の改正で年齢制限が禁じられても、相変わらず年齢制限を設けている所も少なくはなかった。
実習型雇用支援事業”のお陰で、未経験者枠を設けている企業も多々あったが、いずれも、定員1人のところに、50人以上もの求職者が殺到しているという有様だ。求職者には、二十代前半の若者も多数いる。
二十代前半の若者が混ざっている時点で、既に、二つの年齢の壁(25歳、30歳)を通り越してしまっている私が、採用に有り付けるはずがなかった。


私は、失業した翌日から、毎日ハローワークに通うと、派遣よりも酷い求人の中から就職先を探し続けた。
通勤可能な求人を選び、受付に提出。順番を待ち、担当者に呼び出されると、求人先に連絡を取ってもらう。
このサイクルを繰り返した。だが、四割がた、この次の段階に進めなかった。
担当者が求人先(企業)に連絡し、私の年齢・性別・キャリアを伝えた時点で、断ってくる企業が多かったのだ。
2007年に雇用法が改正されると、求人募集の際に、年齢制限や性別制限を設ける事が禁じられた。ゆえに、求人募集の多くは「性別不問」「年齢不問」となっている。だが、それは上辺だけの話だ。
性別不問と明記していながら、事務関係の求人は女性しか採らないところが多く、私の性別を伝えただけで断られてしまった。
年齢不問と明記していながら、私の年齢を聞いただけでも「もっと若い子が欲しい」と断る所も多かった。(特に、給与が安い求人ほど、二十代前後の若者を希望しているケースが多かった)
他にも、通勤時間が30分掛かるというだけで断る企業(これは過去にも経験した事だが、駐車場を完備しておらず、駅からも離れた所にある企業は、近場の者しか歓迎してくれない傾向が強いらしい)もあった。


私は、エクセル・パワーポインター・イラストツールを用いて、PCスキルが一目で分かるオリジナルの履歴書を作っていた。背広も一式買い揃えた。
だが、それを披露する機会すら中々つかめなかった。



■■ 3、不人気職を選んでも ■■


失業から三週間も経たぬ内に、二十社以上に応募した。
職を選ばなかった為、応募先には不人気職も多々含まれていた。
不人気職ならば人が寄り付かない為に、簡単に就職できると思っていたが・・・・これも実情は私の思惑と大きく異なっていた。

まず、酪農。これは求人自体なかった。
農林業の求人もどれほど少ない事だろうか?
私の地元には、どこも田畑が広がっている。だが、それを専業とし、従業員まで雇っている所は滅多にないらしく、農林の求人は6件しかなかった。
その6件すら、「正社員雇用」「未経験者“可”」「通勤可能」の条件で絞り込めば、一件も残らなかった。{*1}

土建の求人は、求人数は多かったが、意外にも未経験者を受け入れてくれる所は少なかった。
多くが、“一級土木施行”“一級建築施行”“経験者”という条件を付けている。
未経験者歓迎の土建もあるにあったが、危険職でありながら労災が無かったりと、余りにも酷い内容だった。税込み十一万、年間休日50日程度、保険等無し・・・・・そんな所すらあった。
誰がこんな所に応募するのだろうか?いるとすれば、途上国から“¥”を稼ぎに来た外国人労働者くらいだろう。

過酷であるがゆえに離職率が高い重工業系の工場は、正社員よりも派遣の募集の方が多く、正規募集に応募の電話を掛けても、私のキャリアを説明しただけで断られてしまった。
そして、最後の頼りであった警備会社は、地元にはアルバイトの募集しか見当たらなかった。警備会社は極めて離職率の高い仕事である為、不況の時でも常に求人募集をやっているはずなのだが・・・・。
(警備会社の離職率が高い理由は、機会があった時に語ろうかと思う。学生時代、複数の警備会社でバイトをしていた為、私は内情を良く知っている)



■■ 4、ハードルを下げ続け、やっと就職へ ■■


普通の人ならば、この惨状に絶望し、派遣に舞い戻ってしまう事だろう。
あるいは、少しでも就職で優位になる為に、職業訓練や資格予備校などに通い始める事だろう。
だが、私はもう二度と派遣に戻らないと決めている。失業保険を受ける前に再就職を果たすと誓った為、時間を掛けるつもりもない。
私は意地でも就職をはたす為に、ハローワーク以外の求人も含め、ほぼ毎日応募を繰りかえした。
そして、三十社に達そうとした時、ようやく小さな零細企業に採用された。
応募者数は述べ9人。特定のオリジナルの履歴書を見せ、PCスキルが評価され、即日に採用された。(半年の研修期間がある為、まだ正式採用ではないが)

仕事内容は、事務職。
PCスキルが重用となる業務で、プログラマー同様、納期が迫っている時は退勤できず深夜まで缶詰にされる。
賃金も低く、初任給は税込み15万(研修期間中は13万)。むろん勤続年数を重ねれば昇給されるが、昇給額は低く、十年勤めても月収は二十万に届きはしない。
将来、到底家庭を持てぬ低所得であり、派遣の時よりも確実に生活は苦しくなった。

だが、求人倍率が0.4%代の中、非正規の職歴しかない身で就職できたのだ。
もう、派遣だからと他人からバカにされることもない。地に伏してでも感謝すべきだろう。

私を採用してくれた求人先は、社員が十人にも満たない零細企業だったが、そのビルと敷地の周囲には、同じく小さな零細企業が寄り集まっていた。いずれも大手の下請けだ。年収が二百万に届かない者が多いらしい。

初出勤の日、私はすれ違う社員と挨拶を交わす内に、若い社員が多いことに驚いた。
派遣社員だった頃、派遣された大手企業には中高年(団塊世代とバブル世代)の社員しかいなかった。
年功序列制度下、勤続年数が延びるに連れ増大する両世代の莫大な年収と退職金を維持する為、多くの大手・中堅企業が新規に正社員を採らずにいた。
十年以上正社員を採っていない企業もあり、私がこの間までいた企業に至っては、我々の部署を担当する一番若い正社員は、三十代後半だった。

だが、今日、私が挨拶を交わした社員の半数以上は、同年代だった。
十年前と同じだ・・・・。
十年前、派遣の世界に足を踏み入れた時、そこで働いていたのは同世代の就職難の若者とリストラされた中高年だった。
十年後、正社員として零細企業の中に足を踏み入れた私は、今、その時と同じ光景を見ていた。
この十年の間、派遣にいた同世代は半数以上が無事に就職していった。私はてっきり、彼らは十分な収入を得、安定した生活を送っているものだと思っていた。
所がどうだ?
彼らは、こんな、派遣よりも低所得の企業にいたのだ!

二十年前、35歳の平均年収は500~600万だったが、今の35歳の平均年数は300万にまで落ち込んでいるという。{*2}しごく、もっともな話だ。
私は、この零細企業の社員らの年齢構成を見て、改めて頷かずにはいられなかった。

私は今まで「雇用問題=非正規問題」と論じてきた。だが、これからは、それに加えて新しい視点を加えて問題を論じて行かねばならぬ事だろう。








{*1}この文章を書いている最中、求人検索を掛けた所、さらに求人は減っていたが、酪農の求人が一件ヒットした。通勤距離に少し無理があるものの、保険等有りで、なんと初任給は二十万代からスタート。非常に良い求人だ。単に、私が求職活動を行った時期が悪かっただけだったのかも知れない。
{*2}35歳の平均年収 1997年:500~600万 2009年:300万 「若い頃の将来像と違う」 - newsing(ニューシング)

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Re: 応援

応援ありがとうございます。
しかしながら無償支援は、報徳仕法の論理に反する為、受け付けておりません。

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