スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

私が在特会を支持しない理由(第三部)

out_zaitoku.gif

第二部へ

■□ 3.史学団体、右翼団体への失望 □■

彼が産まれた時期は、オクタウィアヌスが皇帝としての地位を磐石にしつつあった頃だと云われています。
紀元零年とも、紀元前4年とも。
産まれた場所は、パレスチナのベツレヘム。季節は冬の12月。
パレスチナの12月は、日本とほぼ同じ気候だといいます。ならば、彼が産まれ出でて直ぐに飼い葉の桶に寝かされたのは、寒気から守る為の母の知恵だったのでしょう。

ロバに寄り添われた幼子が、飼い葉の桶で寝息を立ててから2010余年目。彼の生誕を祝う祭典を4日前に控えた12月21日。
オーストラリアのブリスベンの法廷で、一人の老人が、有罪宣告を受けました。

年老いた被告の名は、アーサー・レックス・クレーン。元・オーストラリア連邦戦争捕虜協会会長。
南半球のあちら側では、12月は夏に当たります。ならば、被告台で老人が震えても、それは2000年前に幼子を襲った12月の寒気の為ではなく、心底から湧き上がる絶望の念の為でしょう。
被告台で槌音を聞く前に、既に彼は社会的地位も信用も失っていました。親しい友人からは交際を断たれ、同情と信頼を寄せてくれていた家族からは縁を切られ、震える彼の手には、もはや一物もありませんでした。

被告の罪状は、従軍年金の不正受給。
オーストラリア連邦戦争捕虜協会会長を勤めていた彼が、従軍年金を受けていた事が不正とみなされたのは、実は日本軍の捕虜になった経験などなく、軍歴すら無かった為です・・・・。

長年、人々をあざむき続けた彼の正体を暴いたのは、戦史家リネット・シルバー女史でした。
彼女には、クレーンの名前が載っていない収容所の捕虜名簿、クレーンが入隊したという1941年度は実は就学中であった事を示す学校の成績表、そして、クレーンの兄の証言という完璧な証拠がありました。
動かぬ証拠を突きつけられ、詰問され、遂に偽捕虜である事を告白せざるえなかったクレーンは、その告白と共に、全ての地位と、戦友だと信じてくれていた友人も、そして家族をも失ってしまったのです。
代わりに彼に与えられたのは、4年の実刑判決と不正受給に当たる従軍年金$464,409の返還命令でした。

ウソを吐くとは、そういう事です。

人はウソを吐いて何かを得ても、それが露呈してしまった時、多くの物を失ってしまいます。
そのウソが大きく、そのウソが悪質であればあるほど、失うものも大きくなり、同時に蔑視という一生涯ぬぐえぬ報いを受ける事になります。

続きを読む

スポンサーサイト

 | BLOG TOP | 

プロフィール

砦の番人

Author:砦の番人
Mixi Page = ID=10357891



動画





2008年12月頃からカウント。

FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

カテゴリー
最近の記事
カレンダー
04 | 2013/05 | 06
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

スポンサーサイトもご覧下さい
フリーエリア
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。