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雇用問題・二 二度リストラされた人々

日米の違い

上記は、私が高校時代に読んだ洋書に載っていた風刺画だ。記憶を頼りに再現した。
日米問題を扱った米国側の風刺画を紹介する内容だったが、本のタイトルは忘れた。
レーガン大統領が登場する風刺画が多かった為、80年代に出版された本だったと思う。
その本の中で、上記のようなニコマの風刺画が掲載され、こういう具合の説明が行われていた。

「わが国では業績が悪化すれば、上司は部下に責任を押し付けてクビにする。対し、日本では上司が責任を取って辞職する」


かつては、日本人の責任感の強さは国際的に定評があった。
『下の者の為に、上の者が責任を取る』という習慣は、日本の特徴として世界的に知られていた。
むろん、これは新卒主義や年功序列制度のように戦後に突如発生した奇形文化ではない。
一千年以上昔から続く、日本の伝統習慣だ。

元弘の乱の折、六波羅探題を落ち延びたものの、行く手を敵に阻まれて進退窮まった兵士らを救う為に「我が首を土産に降伏するように」と腹をかっさばいた六波羅北方の守将・北条仲時。
羽柴秀吉の中国攻めの際、己の命と引き換えに助命を願い、三度に渡る兵糧攻めの飢餓から城兵らを救った三木城の城主・別所長治、鳥取城の城主・吉川経家、高松城の城主・清水宗治。
命を捨てずとも、幕府からの筋違いの要求に対し「道理は曲げられぬ」と、無名の部下をかばい続け、遂には己の身分も地位も捨ててしまった興国寺領主・天野康景。
破綻した藩の財政改革の折、二宮金次郎に諭され、自ら藩に俸禄(世襲で与えられる給与)全てを返上して手本を示した下館藩家老・上牧上牧甚五太夫。(近年では、隣国の李明博大統領が、同じ事をやってのけたが)

この敷島の歴史を紐解けば、下の者を救う為に命や身分や財産を捨てた大将や重臣の逸話など少しも珍しくはない。
平時は部下に忠義を要求し、危急の折には主や上の者が責任を取るというのが、我が国の世界に誇るべき伝統習慣だった。
そして、この習慣は、派遣制度が一般に解禁された1999年以前までは、確実に我が国の一般的な習慣として残っていた。ほんの十年ほど前までは・・・・。

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