DATE: CATEGORY:徒然のままに
家族を養わない父の元で育った・・・。
家には、母と祖父らのわずかな収入と菜園があった。だから食べる事に困るほど貧しくは無かった。
でも、人並みの家庭に比べれば、常に何かが不足していた。

子供の頃、友人たちがお菓子を買っても、お金のない私は黙ってそれを見ているだけだった。
けれど、惨めだとは感じなかった。
今だけだ。大人になれば、手に一杯あふれるくらい買えるようになるんだ。
そう、思っていた。
あの頃は、自分の将来については、何も悲観していなかった。
いや、悲観していなかったというよりも、将来というものが遠すぎて何も想像できなかっただけだろう。

問題の多い家庭事情から、小学生時代が一番辛かった。
でも、その分、学校では陽気で人気者でいられた。辛いことは全て、友人たちと日々を楽しむ事で発散していた。
小学生時代が、一番辛くて、一番楽しい時代だった。
長らく・・・私に取って過去の思い出といえば、その頃を指していた。
でも、三十を越えた今では、それすらも記憶から薄れつつある。

子供の頃は、どんなに沢山友人を作っても、「卒業」というたった一日の行事によって、積み上げた交友関係が分断されてしまう。
小学校で一度、中学校でも一度、高校でも一度、大学でも一度。数年ごとに、この行事によって分断されてしまう。
社会人になり、派遣でひたすら働くようになってからは、「契約切れ」「解雇」という二つのイベントによって、定期的に交友関係は分断されてしまった。
三十を越えた今、周囲を見渡してみれば、子供の頃は沢山いたはずの友達が一人もいなくなっていた。


いいや、違う・・・。
友人がいなくなったのは、そんな最近の話じゃないだろ?
もっと昔だ。
学生時代・・・少なくとも学生時代は友人がいたよな?
いや、確かに親しい奴はいた。でも、一緒に遊びに出かけた事があったか?
一緒に買い物に行こうという話、大阪の某地区を案内してくれって話・・・・何度かあったけど、どれもウヤムヤで終わってるよな。
大学の中でだけ親しいってのは、そりゃ友達とはいえないだろ。
じゃあ高校時代から?
あの頃は、中学の卒業間際に経験したトラウマが原因で、人とまともに交信すら出来ない状態だった。でも、もう少し前だ。
中学時代?
この頃はいたよな。毎日毎日、語り合い笑い会える友達が。三年生の時だっけ?
でも、学校以外でも付き合った事があったか?
あの頃は、まともな私服も無く、出歩くこと自体避けてたじゃないか?
もう少し前だ。中学一年の時の夏休みだ。
あの時だ。些細な事で友人らと喧嘩し、絶交してから・・・・。
そうだ。あの時からだ。
一緒に出かけて遊べるような友人は、あの時からいなくなったんだ。

中学一年生の頃。たった一度の絶好の為に、夏休みが明けた時にはクラスには話し相手がいなくなっていた。
少し・・・いや、直ぐにカナリ気がおかしくなった。
あの時、知った。
人は、一人でも友人がいなければ、生きていけない事を。
でも、一年ほど経った時に気付いた。
いや、独りになっても、人は生きていくだけならば何とかなると・・・。

中学から高校に掛けての六年間。この六年間の記憶が、私には余りない。
楽しい時期を部分的に挟みながらも、大部分を独り寂しく過ごした為に、記憶すべき事が余り無かったのか?
それとも、思い出したくないだけなのか?
嫌な思い出が多いのか・・・?
いや、少なくともイジメだとか、そういうのは経験していないはずだ。うん。
ただ、明るく過ごせるような日は、一日もなかったように思う。
あの頃は常に薄暗かった。薄暗いってのは視界の事だ。
“紗”が掛かったように、世の中が薄暗かった。
これは比喩表現じゃない。物理的な意味で、自分の視界の中に写る世の中の“明度”が本当に落ちていた。
時たま、どういう脳の作用なのか・・・この“紗”が唐突に外れる時があった。
突然、視界の明度が上昇し、辺りが明るくなる。見上げれば、狭かったはずの空がずっとずっと広くなっていた。
でも、脳は気まぐれだ。ひと時の奇跡を見せてくれても、直ぐにシャッターを勢い良く下ろすように、視界は元に戻ってしまう。“紗”の掛かった薄暗い視界に。
こういう時、改めて実感した。やっぱり自分の見える世界は、他人よりもずっと見通しが悪くて狭い世界なんだと。


高校時代。一週間に一度くらいの割合で、急に精気と活力が全身から抜け落ちてしまう、不思議な症状を体験するようになっていた。
ただでさえ“紗”の掛かっていた辺りの風景が、深刻なくらいもっと暗くなる。激しい虚脱感がどこからかやってきて、その場に立っているだけで手一杯になる。
いつの間にか、この症状を「ブラックアウト」と呼んでいた。後に、大学の図書館で「人は極度のストレスが溜まると、脳が酸欠状態に陥る」という記述を見た時、ようやく不思議な症状の正体を知る事ができた。
やっぱり、「ブラックアウト」のネーミングは間違ってはいなかった。
でも、小学生の頃も、似たような事はなかったか?
あったよな?急に五感が麻痺する事が。クラスの喧騒が急にラジオの雑音みたいに聞こえて、周囲の風景が壊れたテレビのモニターみたいに狂い出す事が。
あれは心身症が原因だったっけ・・・?

高校の三年間を終え、大学に進学すると言った時、先生は「うちの高校から大学行く奴はいない」と相手にしてくれなかった。
だから大学に受かっても、別段、学校に報告しようと思わなかった。
休み明け、学校に登校した時、クラスの何人もの連中が驚いたような顔で私を迎えた。
「○○!お前、大学受かったんだってな!」
それほど驚くことか?
他所の高校なら普通の事じゃないか・・・。
そういえば、先生に「何で報告しなかったんだ!通知きて始めて知ったんだぞ」と叱られたっけ。

学生時代は、とにかく忙しかった。
バイトに部活。でも、勉学の方は熱心じゃなかった。サボれる講義はサボって、大学のデッカイ図書館に入り浸ってた。
大学の四年間で、一番ためになる事を与えてくれたのは、教授でも、教科書でもなく、図書館だった。
沢山の本が一階にも二階にも三階にもビッシリと並んでる。図書館の事だけ思い出せば、大学生活は充実してたって言えるかも知れない。

四年間の学生時代を終えた時、ようやく巣立てる時が訪れたと思った。
六年間の小学時代。三年間の中学時代。同じく三年間の高校時代。そして、四年間の大学時代。
ようやく、羽ばたく為の練習を終えた気がした。
父には養ってはもらえなかった。
でも、これからは自分で自分を養う事ができる。
生まれ出でて22年目にして、ようやく自分の人生が始まるんだと思っていた。
でも・・・。
200×年。仮想世界に設けられた一つの掲示板が、旅立ちかけた私の“時”を止めてしまった。





あの当時、何が起きたのか分からなかった。
ネットを始めたばかりで、ただ、幾つかの某社の公式掲示板に顔を出してただけだった。
でも、どういう訳か某社の関係者という事にされ、2chで祭り上げられていた。
自分のPCを持っていない身では、ネカフェから確認するしかなかった。
毎日、ネカフェのカウンターで、蒼白な顔色で会員券を見せる。席が取れ次第、直ぐにPCを立ち上げ、何度も何度もトンデモない事になっている自分の状況を確認した。
祭り上げられた期間は、ほんのわずか二ヵ月程度だったけ?いや、もっと短かったか?
でも、そのわずかな期間が、私の二十二年間待ち続けた人生のスタートを・・・歩み出そうとした“時”を・・・羽ばたき掛けた両翼を・・・止めてしまった。

祭りが終わっても、被害を受けた最初の一年間は、まともに出歩く事もできず廃人のように日々を送った。
たった一つのサイトが原因で、何もかもが無茶苦茶になってしまった。
ようやく飛び立てると思ったのに、羽ばたいたそこには、空はなくなっていた・・・。
なぜ、あんな事が起きた?
何度も、自分が悪かったんだと言い聞かせた。
「初心者の癖に、PCの事を知ったかぶってただろ。あれが原因だ」
「バカにされた時に、悔しくて虚勢を張っただろ。あれが悪かったんだ」
「webの事を良く知らずに、他所の掲示板に間違って返信したりしてただろ。ああいう、ドジをやってたからだ」
何度も何度も自分に言い聞かせた。
でも、どうしても納得できなかった。
なぜ、集団でストーキングしてた連中は、私の名前や交友関係を知っていた?
メーリングリストの一部の友人らしか知らなかったはずの事を、なぜ奴らは知っていた?
やっぱり、中傷していたのは、友人たちじゃないのか?
そういえば、あの時もネットで知り合った友人らを疑い、責めたんだった。
「じゃあ、そういう事をしたから、2chネラーに目を付けられ中傷を受けたのか?」
いや、それじゃあ順序が逆じゃないか・・・?
それに何よりも、あれほど酷かった中傷とストーキングが、自分が某社と無関係だと分かった途端、どうして示し合わせたようにピッタリと止まってしまったんだ?
大勢の人たちが、自分を「希代のバカ」に認定してストーキングしてたはずだろ?
なぜ、一斉に中傷が止んだ?

奇妙で、不可解で、ずっと胸の内から消えなかった。ずっと、その事で悩んだ。
でも、自分の心を砂丘に変えたのは、その事が原因じゃなかった。
人が、匿名という陰に隠れた時、陰険で卑怯な生き物に変わってしまうという事にショックを受けたんだ。
大の大人たちが、ものの通りも限度も知らない子供よりも・・・・悪質な中傷を好むという事実が信じられなかったんだ。
極度の人間不信が・・・・重い鎖となって心を捕らえて、私を一年間も廃人のように過ごさせたんだ。
人ってものが、誰も信じられなくなっていた。
でも・・・本当に、人は匿名になっただけで、限度も無く中傷やストーキングを好むものなのか?
一言一言を逐一取り上げ、無理やり中傷を付けていたじゃないか?
まるで怨みを持つ者が、計画的に復讐相手を追い詰めようとするかのように。
そんな手の込んだ中傷を、普通の人が何時間も何日も掛けてやりたがるものか?

一年が過ぎ・・・二年目も過ぎた時、時の流れは、“時”が止まった自分の歯車を少しずつ少しずつ動かしてくれていた。
立ち直り、自分のPCを購入し、私はネットに戻った。
二年前の被害は、全て自分が招いたものだ。全て自分が原因なんだ。だから2chを目の仇にしたりはしない。自分も一住人として溶け込もう。
そう思っていた。

そう思っていた・・・・余計な検索さえしなければ、今頃2chの一住人に納まっていたかも知れない。
けれども私は余計な検索をしたばかりに、出会ってはいけないものと出会ってしまった。
それは閉鎖されたwebのキャッシュに残されていたある人の日記だった・・・。
彼は日記の中で、2chの裏話を書き綴っていた。プロ固定の存在について触れていた。その手口を紹介していた。
日記を読んだ時、しばらく愕然とし、ディスプレイの前から動く事ができなかった。
もし自分が被害を受けていなければ、それは変人が書いた妄想だと片付けていた事だろう。
だが、被害を受けた自分は、それを妄想として片付ける事はできなかった。
彼の日記に記された手口も手順も、自分が受けた被害の内容そのままだったんだ・・・。
何から何まで全て同じだ。
なぜ、他人の一言一句を取り上げて中傷を行う人々がいたのか?
なぜ、怨みもない相手に計画的な中傷を行う人々がいたのか?
なぜ、無関係だと分かった途端、一斉に中傷が停止したのか?
その時、胸の内から消えなかった不可解で奇妙だった感情が、音を立てて散って行った。
「そういえば、あの時は自分以外にも、あの某社の関係者だと思われてた人は全員被害受けてたよな・・・・」
思い返せば、改めておかしな部分が多かった事に気づく。思い返せば思い返すほど、人為的に起きた事件だったと思えば、全て辻褄があってしまう。
「そういう事だったのか・・・・」

そして間もなく・・・2chの過去ログの中に、二年前の自分の“時”が凍り付いたまま残されている事を知った。
削除依頼を出した。もちろん、却下だった。
“時”を解放しなければ、動きかけた自分の歯車を安心して動かして生きる事はできない。
自分の“時”を解放する為に、私は“下らない活動”を始めた。
その下らない活動を始めてから、遂に五度目の正月を迎えてしまった。
結局、自分の“時”は今日の今日まで、七、八年間止まったままだ。


子供の頃からやっていた“物書き”の趣味。三十になるまでに文章力を鍛えて、三十代からどこかの賞に少し挑戦してみようと思っていた小さな楽しみ。
沢山書きかけていた作品。“下らない活動”を始めてからは、どれも未完のまま放置した。
部屋の片隅で、古いワープロの隣に無造作に積み上げられたフロッピーディスク。このどれかの中に、多分まだ眠っている。いや、もう劣化して消えてるかも知れない。

この五年間、仕事に行き、帰宅すればPCの前に座る事の繰り返しだった。いや、資料を探す為に、図書館や古本屋にもちょくちょく通ったっけ?
世の中の流れから外れ、一人、下らない活動の為に人生を浪費し続けた。
自分の知らない所で何かが流行し、自分の知らない所で何かが社会現象となり、自分の知らない所で何かが廃れる・・・。
自分の“時”が止まっている事は頭では分かっていても、実感はなかった。自分の知らない所で、世の中が変化して行く事も気にはしなかった。
全てが終われば、全部、取り戻せるように思えていた。

子供の頃、アニメが大好きだった。
でも、1991年のバブル崩壊で、コスト削減の為に日本アニメが海外にアウトソーシングされるようになると、アニメが大嫌いになった。
海外の人々の手で作成された日本アニメは、「作画崩壊」という新語を私の教えてくれた。
そのアニメも、私の知らない間にクオリティーを取り戻し始めていた。
この八年、自分の知らない所で、自分の知らないアニメが流行し、何度も社会現象まで起きていた。
「よし、全ての活動が終わったら、この数年間に流行ったアニメを調べて、DVDを一杯集めてゆっくりと楽しもう」
“時”は止まっても、後から取り返せると思っていた。


先日、下らない活動を始めてから五度目の元旦を迎えた。
独りで初詣に出かけた。
まだ駐車場に空きがある深夜の内に出かける。でも、境内に入れば既に人で一杯だ。
人ごみが流れ、その一人一人が自分の“時”を持ち、今の時間を生きている。
その中で“時”が止まった男が独り、黙って社に向かった。
どデカイ賽銭箱の前で財布を取り出す。大して入っちゃいない。百円硬貨だけをつまみ出し、投げ入れようとする。
でも、少し考え、財布の中の小銭を全て取り出した。手の中一杯に小銭を握り、賽銭箱に放り込む。
拍手を打つ。でも、願掛けなんかしやしない。
願掛けなら、子供の頃にさんざんした。
家の小さな庭の小さなお社。
子供の頃、そのお社にお供え物をして、何度も必死で神様に祈った。
どうか、父がまともな人間に変わってくれますように・・・て。
何度も何度も何度も。

でも、神様・・・・。
あんたはタダの一度も願いを叶えてはくれなかったよな・・・。
幼い子供が涙流しながら、何度必死にお祈りしても、あんたはいつも無視してたよな・・・。
今だってそうだろ?願掛けしても、どうせ何も聞いちゃあくれないんだろ?
その癖、あんたは賽銭だけはもらうんだよな。そういう形でしかアンタは食っていけないんだよな。
なら、今財布の中にあるなけなしの小銭、全部くれてやるよ。
それで好きに正月過ごしな。

今年も神様に小銭を恵んでやった。去年から始めた習慣だ。いや、去年じゃなくてもう一昨年か。
神社からの帰り道。
昇る朝日を拝ませる為に、神様が“渋滞”をプレゼントしてくれた。
毎日行き来する道筋。渋滞の中、その道をユックリとユックリと進み、辺りの風景に目をやる。
いつも忙しくって、見てる暇も無かった風景。
ふと、左を見る。いつの間にか新しい道路が近くに出来ている事に気づいた。
ふと、遠くを見る。いつの間にか子供の頃に通っていた小売店が姿を消している事に気づいた。
右を見る。近くを見る。辺りを見回す。どこもかしこも、風景が変わっている。
毎日行き来しているはずの道筋。辺りをゆっくりと見回した時、何もかもが変わっている事に気付いた。
この時になって、自分の“時”が止まっている事を・・・・八年の間、自分がずっとずっと世の中の流れから取り残されていた事を実感させられた・・・・。

胸の動悸が激しくなる。息苦しい。胸のどこかに閉まって忘れていたはずの不安感が顔を出す。
たまらなくなって、車を路肩に寄せ停車させる。片手で胸を抑え、そこからあふれ出そうとする不安感をなだめようとする。激しい動悸が手に伝わる。その手も、震えていた。
大きく息を吸い、押し寄せる不安感に足元を囚われる前に、小さく長く息を吐く。
吐きながら、必死になって湧き上がる不安感を忘れる。
何かがフラッシュバックしてこようが、体が震えようが、胸が締め付けられようが、全て・・・全て忘れてしまう。
車のデジタル時計の数字が何度か変わる。右から二桁目の数字が二度変わった頃に、ようやく全てを忘却し、私は元の状態に戻った。
湧き上がる負の感情に抗うのではなく、取り込まれる前に“全て忘れてしまう”。そんな感情など無かった事にしてしまう。学生時代に身に付けた芸当だ。
またこれで、しばらくは生き続ける事ができる。


無事、初詣は終えた。
正月になって、既に七回目の朝日を見た。
今、落ち着いた思考の中、PCの前で元旦の出来事を思い出して見て、不思議に思う。
2chのネットウォッチ板には、私と同じように“時”を止められてしまった人たちが沢山いる。
何年間も監視され、どんなに逃れても付きまとわれ、ずっとPCから離れられない生活を送っている人が沢山いる。
正常な日常が送れなくっている人たちが。
彼らは、自分の“時”が止められてしまっている事を自覚したら、どうやってその苦しみから逃れるのだろうか?
いや、逃れる事ができないからこそ、自殺する者が耐えないのか?
だから、ナコさんも、某作家も、みんな自殺する事を選んだのか?
第十章・自殺した2ch被害者たち


私は苦しみから逃れる術を知っている。
だから、まだ私は生きている。
そして、多くの人々の“時”を止め、他人の人生を狂わせ続ける巨大サイトもまだ生きている。
大勢の人々の“時”を止めて来た殺人鬼・金土日(行政書士・坂田信宏)も、2chを離れた今はmixiの中で同じ悪意を繰り返し、幾人もの人たちの“時”を止め続けている。
だから私は、これ以上“時”を止めさせない為にも・・・・私自身の“時”を解放する為にも・・・・今年もこの“下らない活動”を続けなくちゃならない。
おそらく次の年も・・・その次の年も・・・・。


健やか総本舗亀山堂



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第二回・フリーターの経営講座・製造業編<後編>


前回は、最も効率が良い生産体制は、『四交代制』だと述べた。
では、最も効率が悪い生産体制は、『超・長時間体制』『長時間体制』『二交代制』『三交代制』『四交代制』の内、いずれだろうか?
それは『超・長時間体制』と『二交代制』だ。

労働者に、毎日十時間以上もの労働を強いた場合、“働き慣れた労働者ほど”仕事の手を抜き始めるものだ。
作業速度を故意に落とし、仕事中に同僚と談笑を交える機会を増やし、勝手に休憩まで取り出す。
別段、怠け心が働く訳ではない。
連日十時間以上の労働が続くのであれば、全力で働いてしまっては体がもたぬからだ。
働きなれた労働者は、その事を心得ているからこそ、ほどほどに労働力をセーブしてしまう。
ゆえに、『超・長時間体制』や『二交代制』の下では、一時間あたりの作業速度は、八時間勤務の労働者よりも劣ってしまうのだ。

そもそも人間は、十時間以上全力で働けるように出来ていない。
仕事に慣れ、勤労意欲が旺盛な労働者でも、仕事に全力で集中できる時間は六時間にも満たない。仕事が過酷であれば四時間が精々だ。
上手に休息を取らせてやれば、六時間の所を八時間に、四時間の所を六時間に引き伸ばすことはできる。
だが、十時間を越えれば、どんな働き者とて心身ともに疲労し始める。
だからこそ、今日の疲れを明日に持ち越さぬように、どうしても体力を温存しておく必要が生じる。

だが、その事を心得、体力を上手にセーブする術を知っている者は良い。問題なのは、その術を知らない者だ。
上手な手の抜き方を知らぬ労働者は、生真面目な者ほど、初日から十時間以上の労働を懸命にこなしてしまう。
そして、今日の疲れを明日に、明日の疲れを明後日へと持ち越し続け、数日後には体が思うように動かなくなる。
さらに、一週間目を越えた辺りから仕事を休みガチとなり、遂には辞職するか倒れるかの結末を迎える。
若い者や非正社員などに至っては、たった一日で辞めてしまう事も多い。
『四交代制』と違い、『超・長時間制』や『二交代制』は、急に労働者に休まれたり辞めてしまわれると、欠員を埋める事ができない。その為、一人欠勤する度に、確実に生産が低下してしまう。
十時間以上の労働を強いる『超・長時間体制』や『二交代制』は、このような致命的な欠陥を抱えているのだ。

しかも、労働者が辞めてしまった時は、新たに労働者を雇用し直し、その度に新しい備品や制服を用意せねばならない。ゆえに、余計な出費まで掛かってしまう。
私が経験してきた生産体制の中で『超・長時間制』と『二交代制』は、一番頭の悪いシステムであり、この手段を用いる経営者は大抵「うちの会社は生産量が中々向上しない」と悩んでいたものだった。


日本の戦国時代。
大将は、軍勢を第一陣(先陣)、第二陣、第三陣、旗本(本体)に別け、全軍を一度に投入しないようにと注意を払っていたものだ。
まだ第一陣が突破されていなくとも、将兵に疲れが見えれば、大将は速やかに第二陣と交代させるという具合に、常に将兵の体力の温存を心掛けていた。
戦闘が長引き全軍に疲労が見え始めた時は、後もう少し戦えば敵に大損害を与えれるという好機が訪れても、大将は退却を命じた。
これは、目先の戦で勝利できても、今日中に将兵の体力を使い切ってしまえば、明日の戦いでは大敗を喫する恐れがあった為だ。
朝の戦闘で生じた疲労は昼に持ち越さぬよう、今日の疲労は明日に持ち越さぬよう、十分に休息を取らせる。逆に戦闘のない長対陣が続いた時は、小競り合いを仕掛けさせ、あるいは演習を行い、戦意が落ちぬように心掛ける。
これは戦場における大将の基本的な勤めだ。

大将は、将兵の士気を衰えさせぬ為に、合戦の時は必ず自ら戦場におもむく。そして、将兵たちを奮い立たせる為に、時には自ら陣頭にまで立つ。
そして、論功行賞を行い、個々の兵士の戦闘意欲をうながす事も忘れない。

しかし、体力を気遣い、士気を昂ぶらせ、論功行賞を行いさえすれば、将兵たちは大将の為に存分に戦場で働いてくれる訳ではない。
求めるべき義務に応じて、それ相応の対価を平時から積み重ねておかねばならなかった。
すなわち、命懸けの忠義を求めるべき武士には、領土や知行(所領。厳密には世襲で相続できる資産)を与えて子々孫々まで生活を保障しておいてやる。
ただ命令を遂行すべき足軽以下、中間、小者らには、日々の衣食住を保障し、小扶持(給与)を与えてやる。
そして、忠義とも義務とも無縁な農兵や人足の類には、逃亡だけはせぬようにと高価な米を陣中で惜しげもなく振る舞い、なるべく戦闘には当たらぬようにと荷駄の運搬等を担当させた。
このように大将は、平時から将兵らが不満を抱かないように配慮し、戦時は戦意や体力を失わぬようにと配慮しなければならなかった。
ここまでしなければ、合戦は遂行し得なかったのだ。

所が、希に“愚将”と呼ばれる大将は、こういった配慮を行わなかったものだ。
愚将は、ただひたすら長時間戦わせれば勝てると思い込み、早朝から日暮れまで全軍を投入し続け、夜は夜で夜襲まで掛けさせる。
そして、将兵らを疲労困憊へと追いやり、数日後には、行軍するだけで落伍者が続出する事態を引き起こしてしまう。

また愚将は、士気の衰えも気にせず、己は城にこもって戦場には出ず、まともな論功行賞も行わない。
忠義とは、勝手に湧いてくるものとでも思い込み、武士にはろくに知行を分配せず、足軽の衣食住の保障もケチる。挙句には、戦力の消耗を嫌って農兵たちを陣頭に繰り出させてしまう。
こうして愚将は、決戦の時には、戦意を持たぬ将兵らを敵前逃亡させてしまうばかりか、将兵らの不満を爆発させて反乱まで誘発してしまうのである。


経営者が労働者を扱う事は、大将や愚将が、将兵を扱う事と全く同じだ。
大将が将兵の体力を気遣うように、経営者とて労働者の体力を気遣ってやらねばならない。
無理を強い続ければ、将兵も労働者も毎日存分に働くことはできない。
ほどほどに手を抜き出すか、落伍するかのどちらかの道を歩んでしまう。
勤労意欲もしかり。勤労意欲は、戦場における士気だ。
論功行賞も行わず、城にこもるばかりの大将の下で、誰が士気や戦意を昂ぶれようか?
皆勤賞程度の賞与も与えず、ろくに働かない経営者の下で、誰が勤労意欲を抱けようか?
求めるべき義務に応じて、それ相応の対価を積み重ねておかねばならぬ点も、同じ事だ。
例え経営難に陥っても最後まで会社に付いて来てくれるほどの忠誠心を求めるならば、ちゃんと正社員雇用し、手厚い福祉厚生で遇し、定期的に慰安を与え、会社に感謝と馴染みを感じるように仕向けておかねばならない。
最低限度の貢献を求めるならば、不満を抱かぬ程度の給与と保障を与えてやり、労働者が会社を信頼してくれるように配慮せねばならない。
忠誠心とも義務感とも無縁なバイトやパートには、せめて食事内容ぐらいは気遣ってやり、過酷な労働や重責を求める仕事は回避してやるべきだろう。

だが、このような配慮を一切せず、“愚将”のように振舞う経営者がどれほど多い事だろうか?
ひたすら長時間働かせれば生産が上がると思い込み、労働者を酷使する。まともな休憩時間も休憩場所も与えずに、朝の疲れを昼に持ち越させ、一日の疲れを明日に持ち越させ、明日の疲れを明後日に持ち越させてしまう。
そうして、落伍者が続出すれば「最近の労働者は長続きしない」と嘆き出す。
己は現場に立たず、巡回・監督と称してはうろつき愚痴をこぼすだけで働かず、残業もせずに定時で帰る。むろん、何ら褒賞も与えない。
そうして、労働者の勤労意欲が失せて当たり前の振る舞いをしておきながら「最近の労働者は勤労意欲に欠けて困る」と嘆き出す。
さらには、非正社員にまで忠誠心を期待し、その期待に応えれるはずがないレベルの給与しか与えていないにも関わらず「最近の労働者は忠誠心が無くて困る」と嘆き出す。
私は、こんな愚かな経営者を何度見てきた事だろうか?


前回の冒頭の話に戻ろう。
劣勢の周軍が、殷を打ち破った話だ。
70万の殷が、なぜ5万以下の周軍に敗れたのか?
その理由を答えよう。
それは周軍が正規兵で構成されていたのに対し、殷軍は奴隷兵を中心に構成されていた為だ。
殷軍の将は、使い捨てに過ぎない奴隷兵の体力など何ら考慮せず、無理な戦闘を強い続け、必要以上に戦死者を出し続けた。
そして、何ら保障も褒賞もない奴隷兵らも、戦意が無く、使い捨てられる前に敵前逃亡する事を厭(いと)わなかった。
紀元前1046年に起きた牧野の戦い。
それは600年の殷の最期を彩るに相応しい戦いでも、5万の勇士が70万の大軍を蹴散らす華々しい戦いでも無かった。
圧倒的な戦力を持つ側が敵前逃亡を繰り返し、遂には少数の周軍に寝返ってしまうという惨めなものだった。
殷の紂王は、少数の周軍に敗れたのではなく、忠誠心も義務感も持たない己の殷軍に敗れたのだ。
これは、百万近い人がいようとも上に立つ者が配慮を怠れば、十万に満たない人数にも劣ってしまう事を示す良い例である。


私は、この講義を通して、最も勝る生産体制は『四交代制』だと述べた。
もし、生産量を向上させたくば、製造業を営む経営者は『四交代制』か『三交代制』を取られるがいい。
必ず生産量は向上するはずだ。
だが、簡単には『四交代制』や『三交代制』に移行できぬ会社もあろう。
そのような会社の経営者は、労働者に効率の良い働きと貢献を求めたいのならば、
将兵を存分に戦わせるには、大将はいかなる配慮が必要なのか?
なぜ殷軍が周軍に敗れてしまったのか?
よくよく考えられるがよかろう。

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考古学史上、中国大陸最古の王朝とされる殷。
紀元前1046年、殷の最後の帝王・紂王は、周の武王の軍勢と戦火を交えた。
両軍が激突したのは、殷の首都・朝歌に近い牧野。
殷の軍勢は実に70万。対し、殷の暴政に堪えかねて馳せ参じた諸侯を率いても、周の軍勢は5万にも満たなかった。
開戦前から、既に殷軍が圧倒していた。
だが歴史は、紀元前1046年を周王が敗れた年として記録する事はなかった。
朝歌の城門をくぐったのは凱旋する殷軍ではなく、咆哮を上げる周軍だった。数で劣るはずの周軍が、みごと殷軍を打ち破ったのだ。
朝歌の宮殿から紂王自らが放った炎が上がった時、殷は、その600年の歴史を宮殿の灰と共に埋もれさせた。

なぜ、70万もの大軍を擁した殷軍は、劣勢な周軍に敗れたのか?
しかし、その事を論じる前に、約束していた講義の第一回目を開かせて頂くとしよう。




第一回・フリーターの経営講座・製造業編<前編>


大陸で殷が滅びた頃、まだ文字も無かった偏狭の島国は、二千年の歳月を掛けて今や大陸をしのぎ、比べるべくもない繁栄を享受している。
だが、近年、その膨大な人員と人件費の安さが好評な大陸は、その島国の四海を揺るがすほどの鎚の音を響かせていた。
わずかな糧だけで、大量の製品を量産し続ける中華人民共和国。それに負けじと、歯を食いしばりながら、その小さな体に見合わぬ産出を続ける日本。
製造業を営む日本の企業や下請け業者は、今、中国に負けじと生産量を上げる事に躍起になっている。
そんな中を派遣の身で渡り歩いてきた私は、今まで、五通りの生産体制を見てきた。

労働基準法を無視し、ひたすら労働者に長時間労働を強いる事で、生産量を上げようとする『超・長時間体制』。
労働基準法で許される限界の時間まで働かせ、さらに一部に夜勤組を設ける事で効率を上げようとする『長時間体制』。
二交代で、労働基準法を無視し、労働者に毎日4時間の残業を強いる事で、ほぼ24時間生産を続ける『二交代制』。
三交代で、常に24時間生産を続ける『三交代制』。
四交代で、同じく完全な24時間生産を続ける『四交代制』。

上記の『超・長時間制』『二交代制』は違法だが、労働基準法を無視する会社など、少しも珍しくない。
私が経験した中で、一番多かったのは合法ギリギリまで働かせる『長時間制』を取る会社だ。これが最も一般的だろう。
だが、最も効率が良かったのは、この一般的な『長時間制』でも違法な『超・長時間制』でもなく、『三交代制』と『四交代制』だった。
この生産体制の効率の良さは、他とは比べ物にならなかった。
そして、『三交代制』と『四交代制』では、『四交代制』の方がさらに上回っていた。

24時間生産を続ける事が可能である以上、『三交代制』と『四交代制』は効率が良くて当たり前だ。
ならば、同じ24時間稼動でありながら、なぜ『四交代制』の方が『三交代制』よりも勝るのか?
その理由は三つあった。


<第一の理由: 四交代制は、本当の意味で24時間稼動できる>

『三交代制』といっても、完全に24時間生産を続けている訳ではない。
機械はフル稼働しようとも、労働者には休息が必要だ。
朝・昼・夜の班ごとに、食事を取る為の休憩の他、小休止を与えてやらねばならない。
仮に、休憩が1時間、小休止が10分(一時間休憩の前後に二回与えられるとすれば、計20分)与えられるとしよう。
合計すれば、一班に付き、1時間20分の休憩時間が存在する事になる。
朝・昼・夜の三班では、合わせて4時間だ。
言うまでも無く、休憩時間とはイコール“生産を行わない時間”だ。
そう。『三交代制』は、実際には24時間フル稼働している訳ではなく、生産が行われない時間が一日数時間ずつ生じているのだ。
しかも、この場合では、一日四時間も“生産を行わない時間”が生じる事になる。

これに対し『四交代制』は、長い休憩時間を必要としない。何しろ四つの班で、交代で六時間労働を行うだけなのだから。食事は、勤務時間の前後に取らせれば良く、小休止を二回与えてやるだけで十分だ。
10分の小休止を二回与えてやるとすれば、一班に付き、20分の休憩時間が存在する事になる。
四つの班で、合わせて1時間20分だ。
そう。『四交代制』では、“生産を行わない時間”がはるかに少なくて済むのだ。

生産が行われない時間が、一日4時間生じる『三交代制』。
生産が行われない時間が、一日1時間20分生じる『四交代制』。
日が経つ毎に、この差は大きくなって行く。
週五日制だとすれば、一週間で20時間と7時間の違いに。一ヶ月で、80時間と28時間の違いに。一年で960時間と336時間の違いに。日数で計算すれば、年に40日と14日もの違いが生じる。
実に、『三交代制』と『四交代制』では、生産日数に一ヶ月近い開きが生じる事になる。
それに『四交代制』では、一斑内で小休止を交代で取らせれば、休憩によって生じる生産の停止を完全に無くす事もできる。
『四交代制』は、本当の意味で24時間生産が可能なのだ。
これが『三交代制』よりも『四交代制』が勝る最大の理由だ。


ちなみに、
「短時間労働で済む四交代制なら、小休止すらいらないだろう」
「小休止も節約すれば、もっと効率が上がる」
と考えられる人もいるだろう。しかし、小休止は必ず必要である。
小休止は、体を休ませる為だけに存在するのではない。仕事と休憩時間のケジメを付ける為にも必要な時間だ。
小休止を設ければ、労働者は便意をもよおしても、体調不良で薬の服用が必要となっても、なるべく休憩時間に済ませようとする習慣が生まれる。
しかし、小休止を設けなければ、労働者は好き勝手にトイレ休憩を取り出し、大した事もないのに体調不良を理由に薬の服用を言い出し、その度に作業が中断してしまう事になる。
中には、トイレと称して、そのまま勝手に小休止を作ってしまう者も出始める。
特に、年配で熟練の労働者は、「当然の権利だ」とばかりに仕事が一段落する度に堂々と休憩を作ってしまう事も多い。相手が年配で熟練者であるだけに、下級管理職らも注意しづらく黙認してしまいガチだ。
休憩時間と労働時間のケジメを付ける為にも、小休止は必要である。
それに誰しも家族や友人に何か問題が発生した時は、仕事に集中できぬものだ。そういう時に小休止があれば、その時間を利用して家族や友人らと連絡を取り、心配事を解消しておく事もできる。
だが、小休止が無くば、それすらも適わず、一日中仕事に集中できない状態が続いてしまう事になる。このような精神状態で仕事をされては、ミスの元だ。
そして何よりも、小休止無しでは、労働者の間に必ず不満感が育つ。不満感を抱いたままでは、人は勤勉に働くことはできない。
休憩と労働時間のケジメを付け、労働者に心配事と不満感を解消する時間を与えてやる為の時間が“小休止”なのだ。


<第二の理由: 四交代制は、欠員を直ぐに補充できる>

労働者とて人である。
病気や事故で出勤できない時もある。
労働者が一人欠勤すれば、その分、作業効率は落ちてしまう。
ところが『四交代制』は、この欠勤によって効率が落ちることは余りない。なぜならば、欠員を簡単に補充できるからだ。
方法は簡単だ。前の班から残業(三時間)をしてくれる者を一人、後の班から早出(三時間)してくれる者を一人募れば良い。
欠員によって生じた六時間を、前後の班の者が三時間ずつ分担する事で、簡単に補えるのだ。
『四交代制』は、もともと一人に付き六時間労働だ。三時間の残業や早出を行っても、一日九時間労働になるだけに過ぎない。大した負担にならない為、必ず応じてくれる者はいる。
むろん、九時間労働に過ぎないといっても、その間、飲まず食わずで働かせる訳にはいかない為、半時間だけでも休憩を確保してやる必要はある。だが、残業と早出に応じてくれる者が二名以上いれば、それすらも補える。
すなわち、一人に一時間だけ残業をさせ、その間に休憩を取ったもう一人が残り二時間の残業をすれば良い。早出の場合は、その逆の順で。

これに対し『三交代制』では、欠員によって生じる労働時間は八時間にも及ぶ。
これを埋めるには、前の班の者に四時間もの残業を呼びかけ、後の班の者に四時間もの早出を依頼せねばならない。
『三交代制』は、もともと一人八時間労働だ。これに四時間もの早出や残業を加えれば、十二時間労働になってしまう。
長時間労働を嫌い、誰も応じてくれない事がある。
この欠員を容易に補充できるという点も、『四交代制』の強みだなのだ。


<第三の理由: ミスを最低限度に抑える事ができる>

新人で社会経験の浅い者は、仕事で分からない事があっても、なかなか上司や先輩に質問しようとはしない。
社会経験の深い者でも、上司が好かない人だと、やはり進んでは質問をしたがらない。
そして、分からない事を分からないまま仕事を進め、気付かぬまま、延々とミスを続けてしまう事がある。
また、熟練者でも体調が悪く集中力に欠ける時は、ミスが続発してしまいガチだ。
こいうった場合、『三交代制』では、次の交代まで八時間ものあいだ、ミスが発生し続ける事になってしまう。
だが、『四交代制』であれば、最悪六時間で済む。
ミスが継続する時間を最低限度に抑えれるという点でも、『四交代制』は勝っているのだ。


以上が、『四交代制』が最も効率が良い生産体制である理由だ。
では、逆に最も効率が悪い生産体制とは、どんな体制だろうか?

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DATE: CATEGORY:徒然のままに
窓から光が溢れた。
仕事疲れで、帰宅するなりベットに横たわっていた私は、窓に視線を走らせた。
数秒をおいて、予想に反せず雷鳴がとどろく。
このまま眠ってしまいそうだったが、どうやら私に一仕事させる為に、天はわずかばかりの恵みを与えてくれるらしい。

私は起き上がると、部屋の窓に寄り掛かるようにして、ガラス越しに空を見上げた。
視覚よりも先に、聴覚が降り注ぐ雨の音をとらえていた。
視線の先で、今年最高気温を記録してみせた煩(わずら)わしい天然の核の炉が、紗幕(しゃまく)のような雲に遮られて行く。
通り雨だ。

私は、迷わずガラス窓を開いた。ただし網戸はそのままで。
途端、雨粒が衝突し、網戸が震える。
目の前で、合成繊維の網の目に遮られた天然のシャワーが砕け散り、細かな粒子となって室内に広がった。
鉄錆の匂いがする雨粒が、網戸を通してろ過されるかのように、涼やかな湿気へと変貌して行く。
打楽器のごとく網戸を奏でる心地よい通り雨の音色。
扇風機を全開にしても敵わなかった淀んだ空気が、清涼感を含み始める。

通り雨が通り過ぎれば、湿度が上昇した分、蒸し暑さが倍増する事だろう。
だから、この心地よいひと時の間に、すべきことをしてしまおう。
せっかくの天の恵みだ。無駄にはすまい。


私は、ディスプレイの前の椅子に腰掛けると、PCに電源を入れた。
心地よい雨の音色に、ガリガリという嫌な音が混ざり、わずかな熱気がディスプレイの近くから湧き上がる。
PCが立ち上がるまでの間、時計を一べつすると、やるべき事の優先順位を頭の中で整理する。
今日、私が自由に出来る時間は後二時間程度だ。
睡眠時間を削れば、もっと増やす事もできる。が、今日の疲れを明日に持ち越さない為にも最低限の睡眠時間は確保しておかねばならない。

真っ黒なディスプレイに、緑豊かな平原の壁紙を広げたディスクトップが映し出された頃、私は作業の優先順位を決め終わる。
五年間働かされ続け、三年間クラッカーの攻撃に耐え続け、二年間多忙な作業につき合わされ続けた私のPCは、その弱りきった電子頭脳を正常に作動させるまで、さらにしばらく時間が掛かった。
その間に、既に決めた優先順位の中から、この二時間の間にできる事と、できる範囲を推定する。
情報収集の為の、必要最低限のブログの巡回。2ch絡みの情報の探査。憂国活動の為に資料集め。資料の整頓。同志からのメールチェック。
自分のwebページの不定期な点検。webページ改正の検討。次のPDFファイルの草案作り。ブログに書く予定の「フリーターの経営学」の構成の検討。
二時間の間に出来そうな事を、優先順位ごとに抜粋し、プランを組み立てる。
出来れば、今日一日のプランだけじゃなく、明日明後日、いや数ヶ月間を見越したしっかりとしたプランを立てておきたい所だ。
実際、以前まではそういう方法でプランを立てていた。だが、この五ヶ月間の間、それが出来ないでいる。

憂国活動の為に始めた「プロジェクト2007」。
この作業の一部を五ヶ月前から外部のグループに委託している。だが、困った事に、彼らは作業の進行状態を報告してくれはしない。
グループのメンバーの内、どれくらいの人が参加しているのか?誰がどれを担当し、どの程度進んでいるのか?そんな事すら分からない状況が続いている。
問い合わせれば返信をもらえるが、なぜか進行状況など肝心な事は常にスルーされている。
明日、急に彼らの作業が完了し、私が対応に追われるかも知れない。明後日、急に大量に完成ファイルが送ってこられ、対応に追われるかも知れない。
来週分までプランを組んでも、その来週に彼らの作業が完了し、私のプランが崩れるかも知れない。
こんな状態が続く以上、以前のように落ち着いて長期プランを練る事ができやしない。
ただでさえ少ない時間だ。無駄には使いたくない。だが、この五ヶ月間、効率よく作業がこなせないでいる。
PCが立ち上がる度に、私はしかめっ面になり、心は苛立つ。だが、彼らに頼る以外、この「プロジェクト2007」の最後の作業を成し遂げることはできない。
これっきりの付き合いなんだからと、何とか自分で自分をなだめるしかない。


もうそろそろいいだろう。
インターネットエスクプローラーのアイコンをクリックする。
ちゃんとブラウザが開くか否か。これでPCの頭脳が正常に作動しているかを判断する。
無事、ブラウザは開かれ、MSNのページが表示された。
正常にネットと繋がっている事が分かった後は、真っ先に必要最低限のブログを巡回し、メールチェックを行う。
重要なニュースが発生していた時や重要なメールが届いていた場合は、今しがた立てたプランは全てクリアーし、そちらの対応に専念しなければならない。
だが、今日はその必要はないらしい。

本日の私の優先事項は、ブログの更新だ。
約束通り、「フリーターの経営学」を書き始めよう。
だが、二時間の間に書くべき事を纏め上げ、書き切れるほど私は優秀な人間ではない。
今日は、目次だけ書くに留め、「2ch問題」のカテゴリの方に少し短文を書かせて頂く事にしよう。


[目次]

フリーターの経営講座(製造業編)
1)最も効率の良い生産体制
2)最も効率の悪い生産体制
3)最も効率を悪くする人たち

フリーターの経営講座(労働者編)
1)忠誠心は、ボウフラのように勝手に湧きはしない
2)長時間労働を強いる時の、労働者の扱い方

フリーターの経営講座(育成編)
1)叱る時の注意事項
2)勤勉な社員の育て方

フリーターの経営講座(警備員編)
1)欠陥だらけの室内警備員
2)欠陥だらけの交通誘導員の場合

フリーターの経営講座おまけ(接客編)




田舎ゆえに、製造業に関する物が多くなるが、他の職種にも通じる事だろう。
接客業に関しては、一社でしかやった経験がない(経験豊富とは言い難い)為、“おまけ”として書くに留める。
その他、配達の仕事もした事があるが、これは人様に語れるほどの経験はしていない為、割愛する。
なお、目次の内容はあくまで予定である。変更する可能性もある為、ご了承願いたい。

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DATE: CATEGORY:徒然のままに
ジブラルタル海峡を南に望む、スペインの商港ガディス。
紀元前、この商港の神殿を訪れたユリウス・カエサルは、アレクサンドロス大王の像を見上げると、涙を落として呻いたという。
「アレクサンドロスが世界を制覇した歳になったのに、自分は何一つやっていないではないか」

学生時代、この逸話を知った私は、不安を覚えた。
(彼と同じ年齢に達した時、私もカエサルと同じ台詞を吐くのではないか)
・・・・と。
どうやら、その不安は杞憂ではなかったらしい。
古代ローマの英雄のごとく、暖かい雫(しずく)が頬を伝う事はない。だが、満足感に満たされた吐息をこぼす時はとうとう訪れず、私はカエサルと同じ心境で溜め息を付かねばならぬようだ。
もっとも、“溜め息”なんて不愉快なジェスチャーをする気にはなれないが・・・。
そう思いつつ、椅子の背もたれに身を任せ、傍らの茶を口に含む。心ならずも、ぬるま湯が喉を過ぎ去った所で、自然と溜め息がこぼれ落ちてしまった。
不愉快なはずの溜め息が、茶の暖かみのお陰でひと時の安堵の吐息のように感じられる。

自分の手をじっと見つめ、肌の潤いが健在である事を確かめる。片手で髪を掻き上げ、まだ頭髪が艶やかなままである事に安堵する。老けたとは感じない。でも、もう若者じゃなくなろうとしている。
そして、若者じゃなくなろうとしているのに、私は何一つ成し遂げてはいなかった。




2ch被害を受け、人生を失って以来、十年近い歳月が経とうとしている。
反2ch活動を始めてからは、四年余りになるだろうか。
反2ch活動に身を投じている間に、私は余りにも長い歳月を無駄にしてしまった。
将来の為に、三十までには“資格”を幾つか習得するつもりでいた。だが、“つもり”でいた資格とやらは、未だに私の履歴書には掲載されていない。
この数年間の間、ゆっくり勉強に打ち込めた時があっただろうか?
昼は働き、夜はネットで活動。休日は、私に残された最後の趣味である武道をやるか、ネット活動に費やすかのいずれかだ。
時間を作る為に人付き合いを断ったのは、何年前の事だったろうか?
大好きだったはずの文学小説の山は、既にホコリをかぶって久しい。
代わりに私の手元には、法律やセキュリティーの本が積み上げられている。
いずれも反2ch活動に必要な知識を得る為の本であり、それ以外では不要な本だ。
webに別館サイト(反日勢力撃退用・HTML版資料館)を立ち上げてからは、部屋の本棚の様相もずいぶんと変わってしまった。
棚一杯にひしめいていた文庫本は姿を消し、近現代史、法医学、武道、捕縄術、軍隊格闘術、刀剣に関する本が整列している。いや、整列せずに本棚の足元にまで溢れている。
他にも納まりきらない書物が、部屋のあちこちで小さな塔を築いている。いや、こっちは週刊誌だが・・・・。

髪を掻き上げた手を頭から降しもせずに、冷めた心地で本棚を眺める。
一体・・・・何をしているのだろうか?
典型的な氷河期世代。フリーター生活を余儀なくされている私には、こんな本を読んだ所で何の役にも立ちはしない。
ここ数年間、平均睡眠五時間を理想としてきた。だが、ネット活動や読書に時間を取られ、時おり睡眠時間が三時間になったり、二時間になったりする日々を送っている。
役に立たない事に時間を費やし、役に立たない勉強に励んでしまっている。

カエサルは嘆いた。
「アレクサンドロスが世界を制覇した歳になったのに、自分は何一つやっていないではないか」
ならば私は
「アレクサンドロスが世界を制覇した歳になったのに、自分は、自分の人生に役立つことすら一つもやっていないではないか」
と、涙と一緒に床に突っ伏すべきだろうか?


昨年、働いていた会社が新卒の正社員を三人入れた。その代わりに、私を含む派遣社員全員が契約を切られた。
直ぐに新しい仕事を見つけたが、勤務時間が一定しない陰で、ずいぶんと生活リズムが狂い出した。
勤務時間が昼になったり夜になったり。夜勤明けに、四時間の残業が続いたり。
さすがに不摂生が祟ったらしく、今年に入って四度寝込んでしまった。
病に侵されようとも意地で出勤。それで体調を悪化させ、結局次の日は休んでしまう。
休めば、休んだ分だけ収入が減り、サイトの運営費もまかなえなくなってしまう。
損を取り戻そうと、残業を重ね、昼食代を節約する。そしたら、また体調を崩し寝込んでしまう。
この悪循環が定着しつつある。

今まで私は、反2ch活動が無事終了すれば、この役に立たない勉強の日々と狂った生活から解放されるものと信じていた。
だが、最近は、それも確信が無くなった。
おそらく2chが閉鎖しても、私は似たような日々を送っている事だろう。
本館の更新を停止した分、別館の活動に力を入れる事だろう。
そう。私にはもう一つ活動があるのだから・・・・。

ここ十年以上もの間、歴史問題が大火となって、隣国から祖国に燃え広がっている。
だが、消火能力を持つはずのお歴々の先生がたは、その大火を対岸に眺めるだけだった。
出典がろくに記されていない学術書を書き、あるいは、こちらの岸でのみ発行される保守雑誌に意見を載せ、対岸から「火は不審火だ。放火犯は隣国の方だ」と叫ぶだけで、向こう岸に渡河してまで消火に努めようとされる方はほとんどいらっしゃらなかった。
お陰さまで、我々の母屋は炎に包まれ、その修復費が次世代にタップリと利子を付けてのしかかってきている。
もう、これ以上、炎を野放しにする訳にはいかない。これ以上、修復費を増やす訳にはいかない。
私たちの代で消火し、債務を完済しておかねばならない。
だから私は、反2ch活動が終わった後も、戦い続ける事だろう。
この狂った日常から解放される時など、はたして訪れようか?




まだ若々しさを残した肢体。
だが、この体は二本の鎖に繋がれ、自由に生きることは許されない。
いや、「自由に生きられない」なんてのは少し大袈裟だろう。そんなご大層な使命を背負っている訳じゃない。
ただ、若者らしく自由に遊べず、自分の将来の為に尽くす事もできず、そのまま歳を取ろうとしているだけだ。
たったそれだけの事だ。でも、それだけの事が苦痛なんだ。

もう少しすれば、片方の鎖は断ち切れるかも知れなかった。2chという鎖だ。
この鎖が音を立てて砕け散った時、私はようやく自身の為に活動する事ができる。
私の実名と共に2chの過去ログに残された悪夢が消え去れば、私は、どこの会社にも堂々と面接におもむく事ができる。
あの時のように、もう2chに就職先を潰される事も無い。
私は、ようやく低所得の生活から抜け出し、安心して就職活動に望めるのだ。
もっとも、この田舎で、そしてこの歳では、大した職には就けないだろう。
この日本では、派遣社員やフリーターはどんなに働いても、職歴として認めてはもらえない。だから履歴書には、私たち氷河期世代が積み重ねてきた経歴を記入できる欄はない。
私が求職活動を始めた時、大学を卒業してから十年近くにも及ぶ年月は、全て空白という形でのみ履歴書の中に存在する。
もちろん、反2ch活動も、その活動の上に積み重ねてきた努力も、全ては無かった事になる。
それでも、妥協すれば地元の小さな会社にくらいは就職できるだろう。
それだけで十分だ。収入が少なくとも、不安定な足元が落ち着きさえすれば、それでいい。
それだけで苦痛は半減してくれる。




五、六年前、「若者の多くがフリーター化している」という話を聞きかじった時、私は日本の将来は明るいと思ったものだった。
新卒で正社員雇用され、そのまま歳を取り、“年配”と呼ばれる世代になってからリストラされ、私たちと同じ派遣会社に流れてきた人たちが大勢いる。
新卒で採用された後は、そのまま終身雇用。そういう時代を生きてきた彼らが通じる職能は、一つか二つ程度に過ぎない。
私たちよりも二倍以上の人生を送っていながら、自分がリストラされた職業以外は何も経験がないという人がどれほど多い事だろうか。
幾つもの職種を経験し、幾つもの経営スタイルを体験し、色んなタイプの人間を見てきたフリーターに取って、彼らは余りにも“無知”で“世間知らず”だった。
だからこそ「若者の多くがフリーター化している」という話を聞いた時、日本の将来は明るいと思った。
それは、幾つもの職種に通じ、幾つもの経営スタイルを見てきた経験豊富な若者が増えているという意味なのだから。
将来、そんな私たちが、適齢期に達して正社員雇用されれば、日本は“今までに無い戦力”を得る事になる。
そう思い、日本の未来に期待していた。
だが、フリーター生活を始めて十年近く経った今、私は、自分の浅はかさに自嘲せずにはいられない。
確かに経験豊富なフリーターは増えた。しかし、フリーターが今までに無い“戦力”だと気づく経営者は、最後まで増えなかった。
昨年の9月25日、産経iza(webニュース)で、こんな記事を目にした。



>「再チャレンジ」年長フリーター対策で官民に温度差

>今週発足する安倍政権が重要施策に掲げる「再チャレンジ支援策」のひとつである25潤オ34歳で定職に就かない「年長フリーター」の正社員化をめぐり、官民の温度差が際立っている。政府側の意気込みをよそに、日本経団連の調査では、年長フリーター採用に前向きな企業はわずか1.6%で、24.3%は採用する意思がなかった。新政権がどこまで企業の理解と協力を得られるのか。実行力をはかる試金石になりそうだ。
>年長フリーターの正社員化支援をめぐっては、安倍晋三・自民党新総裁が官房長官として議長を務めた再チャレンジ推進会議が、新卒だけでなくフリーターや第2新卒にも門戸を広げる「複線型採用」の導入や、採用年齢の引き上げなどを訴えている。また、政府も日本経団連や日本商工会議所に中途採用の拡大を要請。厚生労働省でも来年度予算で26億円を新規要求し、対策を練っている。
>しかし、日本経団連のある会員企業の人事担当者は「ずっとフリーターだった若者を一から教育する考えはない」と突き放しており、新政権の真価が問われそうだ。

<産経iza 2006/09/25より転載>



フリーターを十年前後もやってきた人間ならば、どんな職業にだって対応できる。
そこらの年配の人々よりも、はるかに世間の事を知っている。
その経験豊富なフリーターが、なぜ、一から教育してもらわねばならないのか?
いや、会社によって方針も規則も異なる。だから初めの“一”の教育は必要かも知れない。でも、残り“二から十まで”の教育は、既に経験済みだ。
日本を代表する経団連の人すら、フリーターを“教育が必要な人材”だと思い込んでいるらしい。これじゃ一般の経営者が、その“新戦力”に気づくはずがなかった。

私も、複数の職業を経験し、十種類近い職場を見てきた。
接客、配達、警備、事務、肉体労働・・・・。
学生時代のアルバイトも入れれば、軽く十を越える。
お陰さまで、ずいぶんと勉強になった。
各職種の内情はどうなっているのか?
どんな経営スタイルが生産を向上させるのか?
気難しい客はどうあしらえば良いのか?
どういう会社が、社員に勤労意欲を与え、あるいは失わせるのか?
どんな上司が嫌われ、どんな上司が好かれるのか?
ダメな後輩は、どう扱えば良いのか?
いろいろ学ぶ事ができた。
しかし、その経験も履歴書には記載されはしない。就職活動でも評価されはしない。
結局は、全て無かった事になって終わる。
田舎の小さな会社に就職した後は、私は自分の経験をほとんど活かす機会に恵まれないまま、年老いてゆく事だろう。


でも、それでは少し惜しい気がする・・・・。
せっかくブログを持っているんだ。少しくらい、自分の経験を文字に興してみても良いかもしれない。
履歴書には書く場所が無い自分の経験を、不定期にここに綴ってみるのも良いかも知れない。
そうだ。
更新をさぼっていたブログに、一つネタを増やしてみよう。
「フリーターの経営学」とでも称して・・・・。


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